皆さんこんにちは!
災害医療大学です!
災害医療の目的は「防ぎえた災害死を減らすこと」とされていますが、災害関連死とは何が違うのでしょうか?
この講義では、災害関連死の定義からはじめ、防ぎえた災害死との違い、東日本大震災で起きた災害関連死の事例などを紹介しています!
なぜ、災害関連死が起きたのか?を理解するうえでも重要なので最後までご覧ください!
災害関連死とは
災害関連死とは、災害によるけがや避難所生活の負担による死亡の事をさします。
復興庁が出している定義は以下のようになります。
当該災害による負傷の悪化又は避難生活等における身体的負担による疾病により死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律(昭和48年法律第82号)に基づき災害が原因で死亡したものと認められたもの(実際には災害弔慰金が支給されていないものも含めるが、当該災害が原因で所在が不明なものは除く。)
復興庁
内閣府から「災害関連死事例集」が公開されています。令和5年5月に増補版が出ているのでぜひ確認してみてください!
災害関連死の例(熊本地震)
以下のような例も災害関連死になります。
- 避難中の車内で74歳女性が、疲労による心疾患で死亡
- 78歳男性が、地震後の疲労等による心不全で死亡
- 83歳女性が慣れない避難所生活から肺炎状態となり、入院先の病院で死亡
- 32歳男性が、地震による疲労が原因と思われる交通事故による死亡
- 43歳女性が、エコノミー症候群の疑いで死亡
- 88歳男性が地震による栄養障害及び持病の悪化等により死亡
- 83歳女性が地震のショック及び余震への恐怖が原因で、急性心筋梗塞により死亡と推定
防ぎえた災害死と災害関連死の違い
防ぎえた災害死とは、医療が適切に介入すれば避けられた可能性のある災害死です。
災害関連死の中でも、「医療が適切に介入することで避けられた」と判断することができれば防ぎえた災害死になります。
かなり似てはいますが、微々たる差がある点が注意です。
簡単にまとめると以下のような図になります。
東日本大震災における災害関連死の分析
東日本大震災における災害関連死者数は、令和4年3月31日の時点で3789人となっています。
災害関連死についての分析が発表されたのは平成24年8月21日で、平成24年3月31日時点の災害関連死者のうち、災害関連死の死者数が多い市町村と原発事故により避難指示が出された市町村の1263人が対象です。
性別に差はなし
既往症は6割があり、1割がなし、3割は不明
年齢は80歳台が4割、70歳以上は9割
死亡時期は発災から1か月で5割、3か月以内で8割
原因は避難所生活が3割、避難中の疲労が2割、病院機能停止が2割
岩手県及び宮城県では、
「避難所等における生活の肉体・精神的疲労」が約3割、
「病院の機能停止による初期治療の遅れ等」が約2割、
「地震・津波のストレスによる肉体・精神的負担」が約2割。
福島県では、
「避難所等における生活の肉体・精神的疲労」が約3割、
「避難所等への移動中の肉体・精神的疲労」が約3割、
「病院の機能停止による初期治療の遅れ等」が約2割。
福島県は他県に比べ、震災関連死の死者数が多く、また、その内訳は、「避難所等への移動中の肉体・精神的疲労」が380人と、岩手県、宮城県に比べ多い。これは、原子力発電所事故に伴う避難等による影響が大きいと考えられる。
他には、自殺者は合計13人でした。
具体的な災害関連死の事例
市町村からの提供資料(死亡診断書、災害弔慰金支給審査委員会で活用された経緯書等)を基に、復興庁において、主な情報を原因区分別に整理したものをまとめます。
パーセントは原因区分別件数の全体(1,950件)に占める各事項の割合です。
病院の機能停止による初期治療の遅れ:5%
- 系列の病院に搬送依頼するが断られた。過酷な寒さと食事困難、治療も受けられず。
- 病院へ何度も診察を依頼したが断られる。
- 震災後は入院していた病院の床に寝かされていた。その後避難所に移送され、医療行為を受けられなかった。
- 救急車を呼んだが医者がいないため自宅で様子を見るように言われた。
- 病院が7日間孤立し、電気、水道、食糧、着替えの衣服もなかった。
病院の機能停止(転院を含む)による既往症の増悪:15%
- 病院職員がほとんど緊急避難してしまい、適切な治療を受けられない状況に陥った。
- 看護師の手が回らず、適切な処置ができなかった。
- かかりつけの病院は治療ができなくなり、各自病院を探すように言われた。
- 転院前の病院のカルテがない状態で看護を受けた。
- ライフラインが停止したため、適切な処置ができなかった。
- 震災後は食事もままならず、点滴も余震の危険から外される状況。
交通事情等による初期治療の遅れ:1%
- ガソリンがなく病院に行けなかった。
- 救急車を呼んだが、ガソリンがなく自力で運ぶよう要請があった。
- 道路の決壊等で受診できず。
- 救急車の到着が遅く、道ががたつき混んでいた。
- 電気もなく、電話もつながらず、交通手段もないため医療機関での受診ができなかった。
避難所等への移動中の肉体・精神的疲労:21%
- 避難した病院から2週間で別の病院へ転院させられた。
- 胃ろう、寝たきりの人が、バスで8時間かけて避難した。
- 座ったままの長時間の移動で心身ともにストレス衰弱。
- 避難先が決まらず玄関先で長時間待機。
- 避難所、親戚宅等を転々と避難。
避難所等における生活の肉体・精神的疲労:33%
- 冷たい床の上に薄い毛布1枚を敷く。
- 避難所の出入口付近にいたため足元のホコリにより不衛生な環境だった。
- 寒いため布団の中にいることが多くなった。体も動かなくなり、食事も水分も取らなくなってきた。
- 濡れた衣服のまま15日まで過ごした。
- 避難先の自治体の賃貸住宅に入居。夏は避難元よりかなり暑く感じられ、体力も落ち、食欲もなくなって、腎臓が機能していないことが分かった。
- 配給はされたが、普段から柔らかいものを飲食していたので、飲食できる量が少なかった.
- 顆粒状の薬しか飲めないのに粒状の薬を処方されていた。
- 断水でトイレを心配し、水分を控えた。
- 避難所で、狭いスペースに詰め込まれ、精神、体力的に疲労困憊の状態。
- 地震により、ケアセンターの2階病室ベッドより、1階フロアに集められ過ごしていた。
- 足が悪くて1階を希望したのに入居したのは4階で不自由を訴えていた。
- 旅館に二次避難後、定期的な運動をしなくなり、テレビを見ているだけのストレスだらけの生活になった。
- 知らない場所、人の中での生活。
- 家族とは別の避難生活で心細くなった。
- 環境が変わり、心身ともに著しいストレス。
- 集団生活など生活環境が精神的負担となり、不眠行動、せん妄の症状が出始め、精神薬を投与するが改善無し。
- 在宅介護をしていたが、ヘルパーも訪問看護師もこれなくなった。
- 病院は閉鎖の為自宅で療養を続ける。
地震・津波のストレスによる肉体・精神的疲労:8%
- 帰る場所がないことへの不安。
- 震災映像を見ての悲しみや不安感がストレスとなった。
- 父親と職場のほとんどの同僚が死亡。生存者を捜索しても、確認したのは知人を含む遺体のみ。
- 日中はがれき撤去作業を行い、過労と栄養不足で倒れた。津波のストレスとショックにより精神的に不安定になった。
- 屋内に入るよう言ったが怖いと言ってはいらなかった。二日間炉辺に座り寝る時も横にならなかった。
原発事故による肉体・精神的疲労:2%
- 寒さと地震の恐怖におびえていた。原発の不安も。
- 原子力災害により心身ともに著しいストレスを受けた。
- 環境の変化、放射能の不安、今後の家族を心配しつつ体調悪化。
- 病院の医師・看護師等が患者を放置し避難し、妻が1週間近く放置され、精神的に著しいショックを受けた。
- 原子力災害により家族との面会もできなくなり、心身ともにストレスを受けた。
救助・救護活動等の激務:0.1%
- 震災後から、捜索活動、夜間パトロール、ガレキ処理を行っていた(消防団等の活動)。
その他:11%
- 移動のための治療中断。
- 施設を退去させられ、自宅に連れて行ったが、認知症であるため夜、外に出てしまい、死亡。
- 屋内避難指示により施設から退所を促され、親戚宅に避難。
- 介護施設で、停電のため透析を受けられなかった。
- 停電でたん吸引の機械が使えない。
- 通院先での薬入手困難。
- 経管栄養剤の支援がなく、カロリー低下による体力の低下。
- 見舞い客の減少による刺激の低下。
- 津波にのまれ体調不良に。
- 震災による負担と年齢。
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